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神武東征じんむとうせい3
http://miyazaki.daa.jp/
槁根津日子を加え船は東へと向かって行きました。
船はやがて波速の渡(なみはやのわたり[=なにわ
→難波])を通過して白肩津(しらかたのつ)に
到着します。それから伊波礼毘古命と
五瀬命は上陸し内陸へと進軍を
開始しますが道中険しく多難を極めます。ようやく
生駒山を越えたときでした、この地を統治して
いた長髄彦(那賀須泥毘古ながすねひこ)が
兵を率いて戦いを挑んできました。この
ときの戦いは不利なもので兄の五瀬命
は負傷します、五瀬命が『吾が日の神の御子なのに
日に向かって戦ってしまった、それがよくな
かった、だからこそ卑しい奴に痛手を負わさ
れた』『これからは回り道をして日(太陽)
を背にして戦う』と宣言しました。
それから一旦草香津まで退き盾を並べて雄叫びを
あげ士気を鼓舞しました。(それから以後この地
を盾津と名付けた)やがて紀伊国の男乃水門
(おのみなと)に着いたときのことです、
『卑しい奴によって傷を負い死ね
るか』と勇ましく振舞いました
が五瀬命は死んでしまいました。
その水門(みなと=港)を名付けて男乃水門(おのみ
なと)と呼ぶようになります。五瀬命の陵(墓)
は紀伊の国の竈山にあります。
狭野神社(さのじんじゃ)ご東遷ゆかりの地
http://miyazaki.daa.jp/
宮崎県都城市都島774
最寄り駅からのアクセス JR西都城駅より徒歩で15分
最寄ICからのアクセス 都城ICより都城方面へ約11km
https://www.google.com/maps/place/%E7%8B%AD%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@31.908595,130.969854,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x353f3d6893a4e65d:0x285d2a24ebfa96a6?hl=ja
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