神日本磐余彦尊カムヤマトイワレヒコノミコト
神武東征が有名なために戦の神として崇めら
れる神武天皇ですが本来は穀物神で
あったともいわれ、人とも神
ともハッキリしない
神の物語から人の
物語に変わる境目に神武天皇は位置づけられ
古から信仰を集めてきました。生まれ
ながらにして賢く性格もしっかり
としていたワカミケヌは
やがて十五歳で皇太子と
なり、吾平津媛(アヒラツヒメ)を妻に迎え
『高千穂の宮』(伝承地、伝説上の皇居、
宮崎、鹿児島の県境の霧島近傍、
宮崎県西臼杵郡高千穂など)
で国を治めていました。
日本書紀にも記された幼名『サノノミコト(狭野尊)』
は皇子原を含む一帯の地名狭野に由来
狭野神社(さのじんじゃ)
宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田120
GPS N=31/54/17 E=130/58/21
高原ICより約4km、JR高原駅よりタクシーで約5分