海佐知毘古・山佐知毘古10
山佐知毘古は海佐知毘古を訪ねて大綿津見神の教え
通り呪文を唱え釣針を返しました。すると大綿津見
神の言葉通りに海佐知毘古は三年の間にどんどん
貧しくなってしまったのです。海佐知毘古は魚が
獲れず、弟の山佐知毘古の田は稲が豊かに稔る
のに自分が開いた田には水が来ない、そして次
第に食べ物にも事欠くようになったのです。海佐知毘
古は弟を恨んで山佐知毘古の元へ攻め寄せてきまし
た。この時山佐知毘古は懐から塩盁珠を取り出し
て海佐知毘古を溺れさせました。海佐知毘古が
助けを求めたので塩干珠を出して水を退かせ
て救いました。海佐知毘古は悩み苦しみ、
ついに『わたしはこれ以降あなた(弟、山佐知毘古)
を昼夜、守護人(まもりびと)となって仕えます』
と言いました。
これにより山佐知毘古の子孫が天皇になり、海佐知毘
古の子孫である隼人の軍勢が内裏(だいり=御所)を
お守りするようになったのです。また宮廷の新嘗祭
(にいなめさい=収穫を祝う神事)には海佐知毘古が
溺れる仕草を真似た隼人舞が演じられています。
童子丸神社(どうじまるじんじゃ)
宮崎県西都市童子丸
アクセスマップ
最寄ICからのアクセス 西都ICより車で約20分
最寄駅からのアクセス JR佐土原駅より西都方面へ車で約30分
木喰五智館
日向国分寺は、奈良時代、聖武天皇によって仏教による国家鎮護の方針の もと、国分尼寺とともに国毎に置かれた寺で、その広さは約4ヘクタールに も及び金堂・講堂・塔などがそびえていたといわれています。
※詳細は下記リンクで確認してください
http://www.city.saito.miyazaki.jp/display.php?cont=100210184459
アクセスマップ
有楽椿
江戸時代に「太郎冠者(かじゃ)」の名で呼ばれ、茶人・織田有楽斎が茶花として愛用したのでこの名がついたといわれています。
※詳細は下記リンクで確認してください
http://www.saito-kankou.com/shizen.html
「思い出の妻線」イベント
今月末に「思い出の妻線」が開催されます。
日 時:2014年11月30日(日曜) 10時00分~17時00分
会 場:妻線跡サイクリングロード
妻線跡駐車場
妻駅西地区商店街/あいそめ広場/夢たまご
西都市児童館
※詳細は下記リンクで確認してください
http://www.city.saito.miyazaki.jp/display.php?cont=141121112915